景清 粟谷菊生の能舞台

 



景清  粟谷菊生の能舞台     鳥居明雄 吉越研 編
 
 
 
 
僕は能が大好きです。そして、
能楽師の中で一番好きなのが人間国宝粟谷菊生先生です。
二番目に好きなのが梅若六郎先生です。
 
粟谷先生が演じられた中でも
「安宅」「景清」は最高にかっこよかったです。




その粟谷先生が演じる「景清」の舞台を写した写真集です
名演目「景清」を生涯何十回も演じた先生は「景清の粟谷菊生」と呼ばれてました。





「景清」は源平合戦で活躍した平安時代の武士 藤原景清の話しです。
平景清とも悪七部衛景清ともよばれていました。

景清の話しは日本の古典芸能では有名な演目であり、
人形浄瑠璃では「出世景清」、
歌舞伎では「景清(歌舞伎十八番)」、
落語では「景清(古典)」
などがあり、景清物と呼ばれています。




ここ宮崎日向国では景清伝説が残っています。



平家は壇ノ浦の合戦で源氏に破れ、景清も捕まってしまいます。
源頼朝は景清の強さを評価し自分の所で仕えさせようとする。
しかし景清はそれを断り、島流しを懇願する。
頼朝はそれを許し、景清を日向別当として、日向に下し、宮崎郡北方町、南方町を
領有せしめまして、景清は家臣大野、黒岩、高妻を従えて日向に下りました。
景清は神仏を信仰し、いくつかのお寺を建立します。そして、
世が源の代になる事と、過去の悲願を逃れるために自らの両目をエグリ取って、
投げ捨てた。その目玉が落ちた処が「めかけの松」のある「生目神社」です。

そして、
景清は琵琶法師となり、一人慰めてたところで、京都馴染みの美妓阿古屋との間に出来た娘、人丸が京都から父のもとへやってきて、人丸との二人暮らしが始まります。
しかし、人丸は病気で先に没します。
景清は愛娘を失い孤独の生活を続け、霧島神社の参拝途中で病で倒れ、
そのまま亡くなったと言われてます。
その景清と人丸の遺骸があるところが下北方にある「景清廟」だと伝えられてます。





そんなお話を最高にかっこいい粟谷先生が演じていました。
もう亡くなられています先生の写真ではありますが、舞台、演者の緊張感が伝わります。