日本の美 その夢と祈り







日本の美 その夢と祈り      宗左近 著 






「不立文字」

この言葉から始まります。
宗左近先生の日本の美という意識を邂逅するこの著書 
日本美 縄文の系譜と続く大好きな本です。



内容は
1 縄文 大宇宙の記憶
禅と縄文
未生未死
眼が灯る 始原考
土中の西日
壺中の天

2 始原の言葉
とりあわせの美学
幽夢
漂泊の色
花の詩
地球の人
火事よ
照る鏡

3 骨董 超自然との交感
父母未生以前
もの狂い骨董買い
飛沫微塵のひかり
透明
骨董の楽しみ
きみの肉体の跡であるきみの肉体
彼方と此岸
入り日の伝騎
空を飛ぶ盃
月に酔ふ

4 日本の伝統芸術 その奥のむこう側
仁清の具体抽象芸術
集中瞬発 二天「枯木鳴鵙図」
画を望まば我に 曾我蕭白
むこう 蕪村の目

5 宙宇の動静
造型の通底
書の不思議さ 日本の書におもう
書の音楽の魅惑
書の舞踏
宙宇の動静 書
書 この宇宙芸術

6 愛 ふるさとに帰る
愛 ふるさとに帰る
内容もさることながら、表紙は飯田善國先生
これだけで買ってしまいますね。




さて、内容に...
まあ、主観で話してしまいますと、この本、というか
日本という国、日本美術、日本人というのは愛であるということです
左近先生の戦争時の感情を美術や思想を通して愛の話しをします。

やはり取り上げる頁は縄文の頁です
縄文とはなにか?
ここにつきると言っても過言ではないでしょう。


「縄文とはなにか?」
「はじめに、まず芸術である。おわりに、どこまでも芸術である。そのほかの何ものでもありえない」

だが、芸術とは、なにか?
「宇宙を生まれさせ、運行させ、死せしめる巨きな基本の力、それを、わたしは《父母未生以前》と呼びたい。それの表現が、芸術である」




言い切ってますね〜。私もそうだと思いたいのです。
縄文も芸術以外のものでありえない
いずれも、物質で作り出されている非物質=魂である。
物質を解明する科学(記号、文字、ひいては機械など、)の力によって、捉えることができない。捉えようとすれば、傷つけることになる。つまり文明以前、文明以外の存在。



「無のゆらぎが有を生む」
無がゆらぐ。このとき、時間が生まれるか?生まれない。
むしろ、時間以前に戻る。
この状態を未生未死と名付ける。と




自分の先生もよく言ってたました。
「ゆらぎのデザインをしなさい」と。
「ゆらぎをデザインすることができたら名品が生まれる」
とよく仰ってました。
ここで繋がるんだな〜と一服。




曙。それはそこにあるだけで、人間を、そして地球上の生物と無生物を、感動させる。その力を存在価値と言う。
自動車。それはこちらにある物を、あちらに運ぶ。人間の生活に役立つ。それを、使用価値と言う。
それなら、茶碗のもつものは、存在価値なのか、使用価値なのか。
双方の総合されたものである。

ここから、いくぶん難しいことになる。存在価値と使用価値の二つが、結合し、綜合されて、単純な存在価値であることと、単純な使用価値を越えることとなる。実例をあげる。骨董と呼ばれる徳利、盃、そして壺など。それらは、存在価値と使用価値の綜合品である。つまり、双方の価値が、干渉しあい、結合しあい、変容させあう。そのため、その作品のなかから、単純な存在価値と使用価値の合体からは生まれない超越価値が生まれ出る。その超越価値の別名が、骨董美。そして、わたしはそれを呼びかえて、宇宙美と言う
読み終えて、はっきり分かったことがあります。
それは左近先生が、宇宙、縄文、美術、骨董がめっちゃ好きだ!ということ。




ここまで好きを伝えられるということはこれはもう左近先生が芸術であると。
そう思います。





縄文や宇宙、骨董を先生の言葉で基準値をつくりたい方は是非!
ちなみに、
宗左近先生、宮崎の大宮高校に勤務されてたことがあります〜
教え子はめっちゃいいですね〜羨ましい。