Archive for 2012

青い空の日に





青い空の日に     西郡友典







旅に出ましょう。
きらめきに出会いに。
青い空の日に。


目の前の景色が、ときおりキラリと光って見えた気がするときがあります。
例えば、傍らに誰かがいたなら、「見て見て!」って指さして伝えたくなるような。
気持ちがすこし持ち上がってフワリとふくらむような景色。
この写真集は、日常のなかで、旅の途中で、その時の私の目にほんの一瞬きらりと輝いて
「見えた気がした」景色の集まりです。



と。
久しぶりに写真集を見て目がハートになった作品集です。
出てくる猫が大変可愛くて。。。
こんなに伸びてる猫見た事無いよ〜


かわいい〜


是非クリスマスプレゼントにどうぞ〜




景清 粟谷菊生の能舞台

 



景清  粟谷菊生の能舞台     鳥居明雄 吉越研 編
 
 
 
 
僕は能が大好きです。そして、
能楽師の中で一番好きなのが人間国宝粟谷菊生先生です。
二番目に好きなのが梅若六郎先生です。
 
粟谷先生が演じられた中でも
「安宅」「景清」は最高にかっこよかったです。




その粟谷先生が演じる「景清」の舞台を写した写真集です
名演目「景清」を生涯何十回も演じた先生は「景清の粟谷菊生」と呼ばれてました。





「景清」は源平合戦で活躍した平安時代の武士 藤原景清の話しです。
平景清とも悪七部衛景清ともよばれていました。

景清の話しは日本の古典芸能では有名な演目であり、
人形浄瑠璃では「出世景清」、
歌舞伎では「景清(歌舞伎十八番)」、
落語では「景清(古典)」
などがあり、景清物と呼ばれています。




ここ宮崎日向国では景清伝説が残っています。



平家は壇ノ浦の合戦で源氏に破れ、景清も捕まってしまいます。
源頼朝は景清の強さを評価し自分の所で仕えさせようとする。
しかし景清はそれを断り、島流しを懇願する。
頼朝はそれを許し、景清を日向別当として、日向に下し、宮崎郡北方町、南方町を
領有せしめまして、景清は家臣大野、黒岩、高妻を従えて日向に下りました。
景清は神仏を信仰し、いくつかのお寺を建立します。そして、
世が源の代になる事と、過去の悲願を逃れるために自らの両目をエグリ取って、
投げ捨てた。その目玉が落ちた処が「めかけの松」のある「生目神社」です。

そして、
景清は琵琶法師となり、一人慰めてたところで、京都馴染みの美妓阿古屋との間に出来た娘、人丸が京都から父のもとへやってきて、人丸との二人暮らしが始まります。
しかし、人丸は病気で先に没します。
景清は愛娘を失い孤独の生活を続け、霧島神社の参拝途中で病で倒れ、
そのまま亡くなったと言われてます。
その景清と人丸の遺骸があるところが下北方にある「景清廟」だと伝えられてます。





そんなお話を最高にかっこいい粟谷先生が演じていました。
もう亡くなられています先生の写真ではありますが、舞台、演者の緊張感が伝わります。

 
 

にほんのかたちをよむ辞典


 
 
 
 
 
図説 にほんのかたちをよむ辞典      形の文化会 編





 



金子務先生を会長に向井周太郎先生や高木隆司先生も参加している形の文化会が編集するこの本、コアな内容になっております。




内容は
1 かたちのことば
1−000 形/形質
1−01 かたちの見取図
1−02 かたちと方法
1−03 世界をかたどる

2 かたちのかたち
2−000 民族芸術学
2−01 天象と地象
2−02 物怪と異界
2−03 道具と暮らし
2−04 遊芸と芸道
2−05 文字と数と謎
2−06 図形と象徴
2−07 記号と文様
2−08 メディアと様式
2−09 からだと衣装

3 ひととかたち
3−000 身振り

 
 

いきなりですが、
かたちとは? 

かた(型)+ち(魂)であると。
「物のカタチを象ること。象るには種々の彩色を施す彡にて其義をす」
とあります。
形の同訓異義に姿・貌・状・容・象などがあるが、もののナリカタチを示す形に対して、姿はシナブリ(風俗)、象はカタドリ、容はツキ、貌は一身の恰好、状はナリとされている。花形は花が丸いか平らか、花状は花の模様、花容は人の姿の様が花のような、という意味です。




形体/形態 日本美術は自然主義的な描写を主体としながらも、大胆な幾何学的抽象のかたちを巧妙に取り入れてきた。




具体的なかたちと理念的なかたち
形体は、一般に人間が視覚として捉えることのできる自然界や人工物など多種多様な具体的なもののかたち、姿、様子を指す。形体はかたちそのものを表すほか、形態、形状、型、姿、形象、イメージ、パターン、像といった、様々な言葉が持っている概念で包含される。形体と形態は同義語であるが形体は「form」形態は「shape」にあたる。前者は材料(マテリアル)やテクスチュア(材質感)と、その表面色の色彩まで含んだ具体的なかたちの概念や、抽象的な概念のかたち、実際に存在していないが人間が頭に描くことのできる理念的なかたちをいう。これに対し、後者の形態の態は「生態学」や「様態」のように、対象となるかたちの置かれた様子や周囲の情況・環境などの意味を含んだかたちの様相の概念として使い分けられる。



表面 
視覚的把握は、表面の認知に依存していながら表面が顧みられることはない。
感覚/知覚/認知
知覚像には、素直な外界刺激への対応ばかりではなく、加工による虚構が入り込む。
硬軟
「形」という視覚的な概念は「硬さ」という触覚的概念と不可分である。





形から貌から型から鬼から喫茶から文字から火消しから卍まで.......
日本にある「かたち」を検索できるこの辞典すごく感じのいい本です。
かたち(モノ)の概念から要旨まで、だいたい書いてあります





日本の美 その夢と祈り







日本の美 その夢と祈り      宗左近 著 






「不立文字」

この言葉から始まります。
宗左近先生の日本の美という意識を邂逅するこの著書 
日本美 縄文の系譜と続く大好きな本です。



内容は
1 縄文 大宇宙の記憶
禅と縄文
未生未死
眼が灯る 始原考
土中の西日
壺中の天

2 始原の言葉
とりあわせの美学
幽夢
漂泊の色
花の詩
地球の人
火事よ
照る鏡

3 骨董 超自然との交感
父母未生以前
もの狂い骨董買い
飛沫微塵のひかり
透明
骨董の楽しみ
きみの肉体の跡であるきみの肉体
彼方と此岸
入り日の伝騎
空を飛ぶ盃
月に酔ふ

4 日本の伝統芸術 その奥のむこう側
仁清の具体抽象芸術
集中瞬発 二天「枯木鳴鵙図」
画を望まば我に 曾我蕭白
むこう 蕪村の目

5 宙宇の動静
造型の通底
書の不思議さ 日本の書におもう
書の音楽の魅惑
書の舞踏
宙宇の動静 書
書 この宇宙芸術

6 愛 ふるさとに帰る
愛 ふるさとに帰る
内容もさることながら、表紙は飯田善國先生
これだけで買ってしまいますね。




さて、内容に...
まあ、主観で話してしまいますと、この本、というか
日本という国、日本美術、日本人というのは愛であるということです
左近先生の戦争時の感情を美術や思想を通して愛の話しをします。

やはり取り上げる頁は縄文の頁です
縄文とはなにか?
ここにつきると言っても過言ではないでしょう。


「縄文とはなにか?」
「はじめに、まず芸術である。おわりに、どこまでも芸術である。そのほかの何ものでもありえない」

だが、芸術とは、なにか?
「宇宙を生まれさせ、運行させ、死せしめる巨きな基本の力、それを、わたしは《父母未生以前》と呼びたい。それの表現が、芸術である」




言い切ってますね〜。私もそうだと思いたいのです。
縄文も芸術以外のものでありえない
いずれも、物質で作り出されている非物質=魂である。
物質を解明する科学(記号、文字、ひいては機械など、)の力によって、捉えることができない。捉えようとすれば、傷つけることになる。つまり文明以前、文明以外の存在。



「無のゆらぎが有を生む」
無がゆらぐ。このとき、時間が生まれるか?生まれない。
むしろ、時間以前に戻る。
この状態を未生未死と名付ける。と




自分の先生もよく言ってたました。
「ゆらぎのデザインをしなさい」と。
「ゆらぎをデザインすることができたら名品が生まれる」
とよく仰ってました。
ここで繋がるんだな〜と一服。




曙。それはそこにあるだけで、人間を、そして地球上の生物と無生物を、感動させる。その力を存在価値と言う。
自動車。それはこちらにある物を、あちらに運ぶ。人間の生活に役立つ。それを、使用価値と言う。
それなら、茶碗のもつものは、存在価値なのか、使用価値なのか。
双方の総合されたものである。

ここから、いくぶん難しいことになる。存在価値と使用価値の二つが、結合し、綜合されて、単純な存在価値であることと、単純な使用価値を越えることとなる。実例をあげる。骨董と呼ばれる徳利、盃、そして壺など。それらは、存在価値と使用価値の綜合品である。つまり、双方の価値が、干渉しあい、結合しあい、変容させあう。そのため、その作品のなかから、単純な存在価値と使用価値の合体からは生まれない超越価値が生まれ出る。その超越価値の別名が、骨董美。そして、わたしはそれを呼びかえて、宇宙美と言う
読み終えて、はっきり分かったことがあります。
それは左近先生が、宇宙、縄文、美術、骨董がめっちゃ好きだ!ということ。




ここまで好きを伝えられるということはこれはもう左近先生が芸術であると。
そう思います。





縄文や宇宙、骨董を先生の言葉で基準値をつくりたい方は是非!
ちなみに、
宗左近先生、宮崎の大宮高校に勤務されてたことがあります〜
教え子はめっちゃいいですね〜羨ましい。





奇想の系譜







奇想の系譜  又兵衛—国芳    辻惟雄 著





カウンターカルチャーの紹介本としては超一級でしょう。
コアな絵師を取り上げています。何度読んでもサイコーです。
40年前に出た本ですが日本美術の研究が30年は進んだと言われてます。



内容は

憂世と浮世 岩佐又兵衛
桃山の巨木の痙攣 狩野山雪
幻想の博物誌 伊藤若冲
気狂い部落の仙人たち 曽我蕭白
鳥獣悪戯 長沢芦雪
幕末怪猫変化 歌川国芳




なんといっても謎の絵師岩佐又兵衛を取り上げたのはこの本が初でしょう
とりあえず挿絵のセレクトがあつい。
《山中常磐》絵巻の盗賊征伐や《山中常磐》牛若盗賊おびきよせ
この絵を見ておしっこが少しでましたもん



まあこの本も読んだが早いんですが.....

かざりであるという奇想という概念の曖昧さに引き込まれます。
奇想とはもちろん様式概念なのでしょうけど、
6人の絵師達を奇想で括るのには曖昧な感じがします。

あとがきに、
「奇想の系譜」という題名は、これらの画家に共通する性格を的確に浮き彫りにするような恰好の言葉をあれこれ探しあぐねた結果、止むを得ずこうつけたにすぎないのだが、考えてみると、〈奇想〉という言葉は、エキセントリックの度合いの多少にかかわらず、因襲の殻を打ち破る、自由で斬新な発想のすべてを包括できるわけであり、この意味での〈奇想の系譜〉を室町時代以後の絵画史の中にたどるならば、雪村の水墨画の奇態なデフォルマションが、先触れとしての意味を持つし、「本朝画史」に怪怪奇奇と評された永徳の「檜図屏風」のような巨樹表現がこれにつづき、宗達の「養源院杉戸絵」や「風神雷神図」、光琳の「紅梅白梅図」などもこの仲間であり、さらに、白隠、大雅、玉堂、米山人、写楽........と近代絵画の動向に大きな影響を与えた錚々たるメンバーが名を連ねることになり、こうなると、傍系とか底流とかいった形容はあてはまらず、むしろ、近代絵画史における主流といってさしつかえないほどである。そしてまた、これら〈主流〉を背後から動かし、推し進めている大きな力が、民衆の美的食欲にほかならないことも指摘されてよいだろう。
と、書いてます。

「奇想」のばっちりハマった感は探したあげく止むをえずつけたって(笑)
事後てきなものだったんですね辻先生。



岩佐又兵衛と曽我蕭白が異常に好きな僕は何度読んでも興奮してます。
若冲も好きだけど、狩野派も好きだけど、
又兵衛と蕭白が大好きって人にまずは読んでもらいたいですね。



デザイン学










デザイン学 思索のコンステレーション  向井周太郎 著






武蔵野美術大学 基礎デザイン学科名誉教授の向井先生の著書
「デザイン学のアルファベット」という表題の講義をまとめたこの本
内容は



constellation(a) abduction
アブダクション−生命の根原へ、制作の地層へ

constellation(b)(c) bauhaus & cosmology
コスモロジーとしてのバウハウス

constellation(d) degeneration
マイナス方向への遡行と生成

constellation(f)(g) furi(miburi)=gestus
世界の生成プロセスとしての身振り

constellation(i) interaction
相互作用−呼びあい、触れあい、響きあいの生成

constellation(k) katamorph
メタモルフォーゼと生命リズム

constellation(r) Relation/relation
均衡関係がもたらす新たな造形

constellation(r)(s) rhythums/rhythm & struktur/structure
リズムの構造・構造のリズム

constellation(t) trube
生命の原像へ、生成の原記憶へ

constellation(u) urbild
原像とメタモルフォーゼ

constellation(q)(w) qualitat/quality & werkbund
生活世界の「質」と工作連盟運動

constellation(w) weg/way
二十一世紀のあるべき生活世界の道

constellation(v)(w) value & wealth
あるべき生活世界の形成−真の価値と富とはなにか



思索のコンステレーションとは、向井先生の思索やデザインという行為や、
その学の生成方法を意識化し、ひとつの問題提起としたものです。



その生成方法とは「コンステレーション」であると。
 


デザイン学のアルファベット
アルファベットという表現は、a から z まで、アルファベット二十六文字の、
それぞれの音韻を頭音とする。向井先生のデザインボキャブラリーの語群の中から、
一語ずつ選んで、それらのことばや概念との出会いやそれらの意味の世界を語っていくことで、デザイン学思索の風景がかければと希ってデザイン学のアルファベットとしている



これもまたむつかしい本。。。
基礎デザインという謎の学問(笑)

基礎デザインとは実学ではなく虚学であると

デザインとは単にVIDUALではないと。
色、形、見ためだけではなく、
機能、安全性、価格、流通、材料、環境........
形態すべてがデザインを考慮する要素になると。

デザインとは関わるすべての人の生活や生命が循環する世界をもデザインする
ということだと思います。


美しいデザインであるか?と
そこには思想・哲学・理念が必要にならないわけがないと。


デザイン理論の提唱によって在来の分野的デザイナーではなく、
総合的見地から、諸領域の関連性をふまえてデザインの問題を追求する形



「生成するデザインの知」がいっそう重要であると思いました。


デザインの歴史、思想、制作、理念、
重いはずです。
この本は想いです。



BIOSOPHIA of BIRDS






BIOSOPHIA of BIRDS

from the collection of the yamashina institure for ornithology

edited by akishinonomiya fumihito + yoshiaki nishino

photographed by yoshihiko ueda


the university museum, the university of tokyo  2008




写真家上田義彦さんが山階鳥類研究所の鳥類標本を撮影した写真集
東京大学総合研究博物館で開催された
「鳥のビオソフィア 山階コレクションへの誘い」展に沿って企画された内容です。


なんと、ディレクションは原研哉さん!
編集は秋篠宮文仁 総裁・西野嘉章先生


標本の写真集ですね。
写真が存在感あるから生きてはないけど生命体としての強さが写真で現れてます。
頁を開くと右が写真で左が白地に標本体のサイズ名称等の記載があります。

開いたときのデザインが凄すぎます。





ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学










ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学   江澤健一郎 著





ユベルマンの「イメージの前で」を和訳した江澤先生の著書
フランスの思想家ジョルジュ・バタイユが「ドキュマン」誌で展開した、
イデアリスムに抗する不定形という思想のうちに、ラスコー論にまでいく図像や、
造形に関する思索を見いだした。《不定形》を解明していきます。



バタイユといえば......
無神学大全三部作を軽く断念した思い出しかないです.....。
あとは、眼球譚も軽く断念したような。





内容は
第一章 割れた鏡の中から、亀裂を抉りながら
第二章 「ドキュマン」における不定形の美学
第三章 芸術の誕生をめぐって
第四章 人間の形象
第五章 表象の抹殺、口を開く裂け目
結論 形態のしたにあるもの



非形相的形態ー不定形
非形相といっても、単になにもなければよいというものではない。と。なにも描かれていないカンヴァスあるいはオール・オーヴァーの単彩が、それだけで非形相的であると、物質的であると称賛されるわけではない。確かに我々は「形なきもの」としての純粋物質の次元を想定することが出来る。しかし、その次元は到達不可能な次元としてある。つまり、通常は、「なにも描かれてないカンヴァス」はただの「無地のカンヴァス」として認識され、単彩の画面は単なる「彩色面」として認識されるだけである。単に無形態であるだけでは、物質の次元は現れてこない。これはたとえば、バタイユが内在性として定義する動物性の次元にかんしても同様である。われわれはもはや動物に戻ることはできない。動物を真似ようとも、すでに言語の次元に浸かったわれわれ人間は起源へと帰ることはできない。内在性の次元へと遡行するには、言語的なものの侵犯が必要であり、その侵犯の動きのうちに、われわれは内在性を体験し、垣間みる。これは純粋物質に次元についてもいえる。形態を与件とするわれわれは、形態を侵犯しなければ物質へと近づくことはできないのである。「ドキュマン」において、バタイユが用いた「不定形」という概念は、「無形態」ではなく、まさにそのような侵犯的形態、いわば、形態未満の非形相的形態を指していた。とある。

特に興味が湧いた項では、人間の形象の否定から神的な人間の形象へ
先史時代の洞窟壁画は、体験的な場と時間の芸術であった。と、これだけで、読んでいて、想像が膨らみ自分をその時代に投影させてみた。今の自分の思想や創作力で何を創るか?と、あるいは今の自分の思想ナシで、この時代ならばこう生きる、そしてアウトプットをどうするか?などいろいろと楽しめました。続きます。ー、内在的な体験が生起する場所ではあったが、その体験は動物性への遡行に等しい出来事であった。それゆえに、洞窟において描出されたのは主に獣たちの姿であり、バタイユの説によれば、動物的なものは、ラスコーの人間達にとって宗教的な力を、なにものにも馴化されない至高な性質を帯びていた。洞窟に描かれた多様な動物の群れは、それ自体において価値を持ち、内在的で非人称的な至高性を放っていた。それに対して人間の形象は、当時の人間にとっては絵画化されるに値する魅惑を備えていなかったのである。人間は獣とは異なり、、世俗的な活動に手を染めた隷属的な存在であった。と。




..これは時間かかりますね。
一回読み終わりましたが2回3回と読みこんでいくと更に面白くなりそうです。



バタイユの「消費の概念」や、「空の青」、
「内的体験」「有用なものの限界」をもう一度読み直してみたくなりました。




日本美術の歴史



日本美術の歴史    辻 惟雄 著



奇想の系譜でもおなじみの辻惟雄先生の著書
とりあえず豪華!装幀が横尾忠則さん!
オールカラーに近い、殆どの頁に美術作品の写真が挿まれてます。
内容は



第一章 縄文美術 原始の想像力
第二章 弥生・古墳美術
第三章 飛鳥・白鳳美術 東アジア仏教美術の受容
第四章 奈良時代の美術(天平文化) 唐国際様式の盛行
第五章 平安時代の美術(貞観・藤原・院政美術)
第六章 鎌倉美術 貴族的美意識の継承と変革
第七章 南北朝・室町美術
第八章 桃山美術 「かざり」の開花
第九章 江戸時代の美術
第十章 近・現代(明治ー平成)の美術




449頁で何千年もの美術・思想を遡るのですから速い早い。
でも一気に読めます
なんといっても、最後の頁にある「作品名・事項索引」がいいですね〜。
あかさたな順で古今の作家、作品、キーワードが検索できるという頁。
これいりますよ〜。

歴史順での美術、思想の遡りなので、遡り方は他の本も一緒なのですが、
この本は作品にスポットをあてて、それにその時代の背景と思想を落とし込んでる点。
まあ一緒なんですが、「この時代に創られたのはこの作品!」ではなくて、
「この作品が創られたのはこういう時代!」ってところ
僕は工芸の仕事をしているからやはり、奈良・平安・鎌倉時代が好きです。
漆はこの時代に技法・表現法がすべて完成されたといわれていて、
現在の漆の技法(製作法・道具)はこの時代から変わっていません。




歴史の前に、美術とはなにか?をとりあげている
「美術」とは、明治のはじめ、西洋のfine artを日本語に訳してできたものであり、それ以前からあった概念ではない。それに類する言葉としてartに対する「技芸」があげられる。
絵画と書は「書画」として一緒になっていた。彫刻という言葉もそれ以前にはなかった。工芸は絵画ともども「工」の概念のなかに収まっていた。建築、庭園も明治の新造語である。
「美術」は、その他もろもろの文化、学術の用語とともに西洋生れの概念にほかならない。だが「日本美術」といった場合、その中身は国産品である。江戸時代までの国産の「もの」のなかから、明治の偽政者が何と何を「美術」に選んだかの問題がそこに生じる。「書」のように、「美術」や否やの論争がかつてり今もなお決着をみない分野もある。幕末の民衆に歓迎された松本喜三郎の生人形のように、「美術」の選に漏れて世に埋もれてしまった「もの」もある。こうした問題が美術史家の間で取りざたされいる。

こうしたややこしい〈概念形成史〉の問題を冒頭から持ち出すと、それがいったいどうした?と、ことほど左様に、いまの私たちは「美術」の概念になじんでしまって、いまさら別の言葉をさがせといわれても困る。たとえば「造形」にしてもどうも使いにくい。当面方法は、「美術」という言葉をそのままにしておいて、中身を柔軟にかえてゆくよりほかにないのではないかー。と


langdon warner の「永続する日本美術」の序文で、
(日本美術の)変化のあわただしさは、私がいつも感じていることを強調するように思われる。それは消えたかと思うとまた不意に、新しいがそれとわかる、別の流儀であらわれ、前にそれが別の気分でそこにあったことを確信させるところの、日本美術の永続的な傾向である。と書かれています。




「古事記」成立の背景と構想


 
 
「古事記」成立の背景と構想   遠山一郎 著
 
 

愛知県立大学名誉顧問の遠山一郎先生の著書
古事記の成立の過程・背景・構想を考え実証していくこの本
内容は
 
第一章 「古事記」の背景
第一節 母語の営み
第二節 歌が開くことば
第三節 血すじによる系譜
第四節 天武の述べかた
第五節 さまざまな営み

第二章 「古事記」の構想
第一節 高天原による説きかた
第二節 大国主の神話
第三節 地上界のおさめかた
第四節 神からひとへ
第五節 第一代天皇の造形
第六節 神武から崇神・垂仁へ
第七節 神と応神と
第八節 雄略の描きかた
第九節 仁賢たち
 

そのなかで、気になったところは
「古事記」にはいくつかの世界が見いだされる。初めに現れてくるのは「高天の原」である。ほかに「黄泉つ国」「根の堅州国」「葦原の中つ国」そして海の神の国について古事記は記している。これらは各々の世界として成りたっているように見える。これらの各々にたいがいに異なる神々がいて、これらのそれぞれがまとまりを備えているように記されているからである。が、「古事記」が説こうとしている、これらの各々の世界のありかたではないであろう。というのは、これらが天皇たちのおさめている領域にどのように関わっているかを「古事記」が記しているからである。というところ。

天皇のおさめている領域に関わる世界のなかで中心をなしているのが、「高天の原」と「葦原の中つ国」である。その中心の作りかたは「高天の原」の神々が「葦原の中つ国」の神々を従え、この「高天の原」の神々の子孫たちが天皇になった、と示されている。
  
国ゆずり神話群の構成や天皇神話の形成と万葉集との関わりも見物です。
 
 
 
古事記編纂千三百年の御年、あらためて、古事記や、
現代語訳なされた古事記や本書を読んでみるとよいでしょう。


 

 


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