ICC DOCUMENTS 1997-2000




ICC DOCUMENTS 1997-2000


1997年に開設された科学技術と芸術文化のインターフェイスとなる施設ICC
NTTインターコミュニケーションセンター
ICCで行われた1997-2000年までの3年半の展示記録集
 

従来の文化施設が、物理空間的なメディア、
それは展示施設をその中心とし、それに付随した二次的なメディアを展開してきたのに対し、ICCは展示施設、出版、ネットワークと言う三つのメディアを具え、かつそれぞれが積極的な活動を行ってきたということ。
個々の内容にのみ注目すればそれらは「新しさ」を具体化したものとは言い得ない面もあると思います。しかしそれらが三つのメディア上で緊密かつ多様に複合し展開してきた事実は、従来の施設では求め得ぬものだったと思います。

特定の視点にのみ囚われることなく、
常に開かれたものであるべきであり、
それこそがICCのコンセプトである「新しさ」の原点であると

 

「上村松篁・魂の讃歌」写真家・飯島幸永の眼


飯島幸永氏が撮影した上村松篁先生の写真集
日常とは絵を描いている時であり、その日常を写された写真集です。
上村先生はこう書いてます


飯島はんに写されて
上村松篁

「なんでこんな年寄りを、花も実もない、といいますか、ようこんな年寄りのどこに面白さを見つけられたか知らんけど......」
飯島はんは大変熱心に私を写してこられました、私も少しも写されていることを気にしないで、わがまま勝手に振る舞ってきておりましたのに、こんな美しい写真をたくさんお撮りになって、非常に感心しております」
お陰様で花を見たり、紅葉を見たり、外に出て写生をする機会が多くなってたいへん楽しかったです。ただ雪が撮れなくて惜しいことでしたねえ。
この写真で自分の自然の姿を初めて見せてもらった感じがいたします。また、私の生活全体を良く写しております。これが私の生活のすべてであり、この写真のほかに人生はありません。本当のところ、「自分ながら怖い顔をして絵を描いているんやなあ」と知り、びっくりしております。自分の気がつかないような、自分の風貌を客観視してもらって、たいへん面白いなあ、と思いました。絵描きの日常生活を素直に写し出され、私自身の姿に非常に興味を覚えています。
制作の原動力となっている写生の姿をたくさん撮っていますので、制作の表裏が良く見ることができます。
あとはお客さんがどのようにご覧になるか、たいへん興味があります。






はまゆりの頃に 三陸、福島 2011〜2013 田代一倫

 
なんと言えば良いかわかりませんが
人はとても強いし、とても弱いのかなと思います。


やきものの秘密とナゾ 田賀井秀夫


東京工業大学名誉教授の田賀井秀夫先生の名著
「読売文化センター」やきもの講義の話を集録した本
先生は自身のことを「素人に毛の生えた程度の知識しかない」とおっしゃってます。
それはタイトルにあるように謎を「ナゾ」と書くあたりが先生のユーモラスな部分だと思います。
個人的にはP77の天目について、P141の辰砂の項が面白かったです。

 




@DOMMUNE  宇川直宏

 
 FINALMEDIAが伝授するライブストリーミングの超魔術!!!!!!!!!
もはや説明不要
この経典によって、個人がファイナルメディアへと成就する為の超魔術が、
今、紐解かれる
 


DOMMUNE BOOKS 1  DOMMUNE




「過去」の記憶装置として存在した書物は「現在」インターネットにその役割を委ねつつあります。しかし、意味生成の場として、その役割を放棄したわけではありません。意味生成という現象はヒトが生きている限り、あらゆる場面で問題なく行われています。同じ内容の言葉でもメディアを移行することで、違う意味に転換されてしまうことも少なくなく、インターネットと書物の間には必ずしも兌換性は存在しないとさえいえます。「書物は、読まれることによって「物質」であることを止める」とは、故・中野幹隆氏の言ですが、それはメディアの形式に重きがあるのではなく、言語活動の内容に価値があると断じていることは疑いを容れません。ファイナル・メディアであり、「紙メディアの墓場」と位置づけたDOMMUNEが言語活動の場として特異な機能を有したとすればそれを記録したファイル・アーカイヴ、つまり"言語の骨壷"が、再度、紙メディアに改葬される時、その言葉は墓場から立ち上がってくる生ける屍として、異臭を身にまとうだけなのか、それとも、新たな"意味蘇生"を引き起こし、想像もしなかった次元を切り開いてしまうものなのか。DOMMUNE BOOKSの刊行は、いわば、その実験の舞台となるのです。中野氏は1984年に書かれた先の文章でこう続けています。「書物は今日、<文字と紙>という最もプリミティヴな生、裸のコードに還元され、電子メディアをはじめとする諸メディアとのキメラとなり、ハイブリッドな共生状態に入るのです」と。
「現場」と「思考」との自在な往復、あるいはエディトリアルという近代的知性とアクシデンタルなむき出しの「生」。そう、読者を「現在」よりもなお、刺激的な紙とインクの意味蘇生の現場へと連れ出すことが我々DOMMUNEBOOKSの狙いなのです。なんつって(死語)!!!!!!!!!!!!!!!!
 
説明不要のDOMMUNE
そのOFFICIAL GUIDE BOOK 1号です



現代陶芸の鬼才栗木達介 京都国立近代美術館


2015年に京都国立近代美術館で開催された栗木達介展の図録
現代陶芸の鬼才と呼ばれた作家の作品群。鳥肌が立ちます。

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